人文系寺子屋 野崎塾 イカロスの太陽

市民の市民による市民のための学び舎 前野町カルチャースクール 板橋区前野町6-41-17村越ビル1F 080.3856.7463 野崎

カテゴリ: フランス語の詩

初回ゆえ授業で読むテクストを未配布なので、第0回同様おもに講師がプレゼンテーションする形になりました。題して「詩の音楽化 La mise en musique du poème」。詩人のテクスト+音楽の、それぞれジャンルの異なる作品を4つ、日本語訳で確認してから聴いてまた見てもらい、これから入っていく仏語と仏詩の世界への参入initiationを試みました。
 
1.シャンソン :«Les Séparés»(はなればなれの者たち)1998年
詩:デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore)
作曲:ジュリアン・クレール(Julien Clerc)
会えないのにあなたのことを思うのはつらいから手紙を書かないでちょうだいと縷々と綴る女性の恋愛詩。19世紀前半に書かれた詩を20世紀末にシャンソン化してそれが受けるという事実に、シャンソンは詩と人々との絆の役をいまだ果たしているのだなぁと感じます。授業ではバンジャマン・ビオレBenjamin Biolayの歌で聴きました。さてここを見て下さっている生徒さんには宿題です。シャンソンの歌詞では、もとの詩の単語を変更している所が3カ所あります。どこでしょう?
 
2.歌曲:« Laisse les nuages blancs »(雲たちを白いままにおこう)1935年
詩:フランシス・ジャム(Francis Jammes)
作曲:ジャン・アラン(Jahan Alain)
19世紀末のピレネーの田園詩人の一見牧歌的な詩にひそむ(実存的と言いたいような)不安な感情をあらわにしてみせている、見事なそしてショッキングですらある曲。この作曲家は二次大戦時に29才で戦死してしまいますが、ファシズムに内外から侵されてゆく当時のフランスの不安感も共振しているのでは、と直観的には思います:
 
3.パフォーマンス:Dans la nuit la plus claire jamaisrêvée(夢みたこともない透みきった夜の中で)2011年
テクスト:フィリップ・ジャコテ(Philippe Jaccottet)
音楽:パトリシア・ダリオ(Patricia Dallio)
ダリオはプログレ・ロックグループのアール・ゾイArt Zoydの元メンバー。現代詩人の詩と散文から抜粋されたテクストを再構成した舞台作品から、「さまよい« Érrance »」と題された部分を聴きました。電子音の煉獄の中を断片化され意味も定かでないフレーズ(「私はこのかすかなものの向こうへいきたい」「あらゆる詩は死に与えられた声だ」「もっとも高い希望、それは空全体が本当にまなざしとなることだろう」…)が、それでも一すじの希求を感じさせながら進んでいきます:
 
4.シネポエム:« Elvin Jones »(エルヴィン・ジョーンズ)2000年
テクストと映像:ピエール・アルフェリ(Pierre Alferi)
音楽:ロドルフ・ビュルジェ(Rodolphe Burger)
最後は「音楽化」というより、詩の新しい形式の発明というべきでしょう。1963年生まれのアルフェリは映画批評家でもあり、映画に固有の方法によって詩を書けないかと考えたことが「シネポエムcinépoème」をつくる動機だったと語っています:
なんでしょうこれは??色分けされ、それぞれ十数個の文からなる3つの系列が出現‐消失を繰り返しながらループし続けます。各文はすべて主語‐他動詞‐目的語の文型で、主語は「君Tu」または「私Je」のみ(「君は~する。」「私は~する。」)、動詞と目的語がほとんどシステマティックに交換されていきます。映画に固有の方法とは、おそらくモンタージュのことでしょう。同一の文型をフィルムの「コマimage」のようなフォーマットとし、それを編集していく。題名は北米のジャズミュージシャンの名前でこれも意味不明。彼へのオマージュであろうか?という「読者」の最も安易な読解可能性を、ビュルジェのミニマルな音は爽快なまでに一蹴し疾走していきます。でもここで採用されている方法を適用してElvin Jonesを文字という単位に分解し編集し直してみると― « Je le vois 私はそれを見る »というフレーズが浮かび上がってきます。それとも « Je viole NS私はシリアルナンバーを侵す »?( « Tu viole tes décrets. 君は自分の法を侵す。»という文も緑色のループ中に現れます。)この作品は見るということ、そして映画をはじめとする視覚メディアの流通をめぐる愉快な(滅茶苦茶な意味の文ばかりです)アレゴリーとしてぐるぐる回っているのではないでしょうか?
 
以上、こんな多様なことばと音のシャワーを一気に浴びせかけて、自分はちゃんと解説できるのだろうかとほとんど絶望しながら授業に向かったのですが、杞憂でした。その場でこれを受け取り反応し理解し自分のことばにしてゆく生徒さんの生き生きした関心とセンスの鋭さにまったく驚き、助けられました。詩は、とりわけ現代詩は難しいという俗説はうそではないでしょうか?生徒さんの求めるものに応えていけるよう心したいと思います。
 
次回からいよいよ詩の具体的な読解をしていきます。来週のテクストはここに冒頭で紹介したデボルド=ヴァルモールの« Les Séparés »。中途受講歓迎です。ためしに出席を希望される方は、事前にプリントをお送りすることもできますので、その場合どうぞ下の私あてアドレスにご連絡くださいますよう。
 
鈴木水守 (mmsz-suzukimimori@yahoo.co.jp)

「詩的空間の中の小ツアー(Un petit tour dans l’espace poétique)」と題し、全10回の講座にちなんで10人の詩人を紹介し、その詩を内容的に連関させながら日本語訳付きで辿っていきました(この10人を全員授業でとりあげることはないかとは思いますが):

①デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore 1786-1857)

②ジャム(Francis Jammes 1868-1938)

③シュペルヴィエル(Jules Supervielle 1884-1960)

④ルメール(Jean-Pierre Lemaire 1948-)

⑤タピ(José-Flore Tappy1954-)

⑥エベール(Anne Hébert 1916-2000)

⑦ジャコテ(Philippe Jaccottet 1925-)

⑧一茶(1763-1828)

⑨ペリエ(Anne Perrier 1922-2017)

⑩リルケ(Rainer Maria Rilke 1875-1926)

半数が20世紀後半の作品になりました。今現在も書き続けている詩人もいます。また4人が女性で、うちスイスの人が2人、1人はカナダ人(講座名を「フランス詩」でなく「フランス語の詩」にしたゆえんです。ご存知ない名前ばかりでも心配無用です、大学の仏文学の先生でもこのうち何人知っているでしょうか?)。一茶はモリス・コワイヨMaurice Coyaudという人の仏語訳で:

En ce monde nous marchons        この世界の中私たちは歩いてゆく

Sur le toit de l’enfer et regardons  地獄の屋根の上をそして見つめよう

Les fleurs             花々を (世の中は地獄の上の花見かな)

すごい訳です。一行目から2行目への行変えで読む人の足元と世界を一挙に宙にうかせてしまい、そして次の行変えで目の前に現れる«Les fleurs»。この訳者のやってのけた再創造こそ、詩の行為・詩という行為l’acte de la poésieそのものだと思います。

最後のリルケはドイツ語の詩人ですが、晩年にフランス語でも書いています:

Chemin qui ne mènent nulle part どこへも通じていない道

entre deux près,                  ふたつの牧場のあいだをいく、

que l’on dirait avec art            あたかも巧みに

de leur but détournés,            目当から逸れたように、

 

chemin qui souvent n’ont         しばしば

devant eux rien d’autre en face    その先で対面するのは他でもない

que le pur espace                 純粋な空間

et la saison.                      そして季節。

この一巡りun tourはこうして円を閉じず開いたままにしておきました。この先の道行はまだ決まっていません。道を辿るごとに丘の上や山の中腹、また崖の目の前に現れる澄みきった空(純粋空間)と、一茶の花々が咲きもする地上(季節)とを行き来できればいいなと思っています。

 

今週の420日(土)から講座スタートです。単発でも出席できます(一回2000円)ので、関心のある方はぜひ一度おこし下さいますよう。

(鈴木水守:mmsz-suzukimimori@yahoo.co.jp

paysage de muzot

Gérard de Palézieux, Paysage de Muzot  (1953) 

ジェラール・ドゥ・パレジウ、<ミュゾの風景>(1953年)

晩年のリルケが住んでいたスイス・ヴァレー州ミュゾの風景です。
 

「春季講座:フランス語の詩を読む」のスタート日、4/13が迫ってきました。4月13日(日)午後1時半から始まります。

 詳しくはこちらこちら 

野崎塾春季講座2019・フランス語の詩を読む
(4月~6月、全10回+無料プレゼンテーション1回、中途受講可)
講師:鈴木 水守(すずき・みもり)

 このクラスではゼミ形式でフランス語の近代・現代詩をできるだけていねいに読みます。初級文法をひととおり学んだ段階で読めるような、文法的に難しくない作品を選びますが、参加する方の習得度に応じて文法・発音等の学習にも留意します。受講にはフランスの詩や文学史についての知識は不要です。

 1回の授業に1人の詩人を取り上げるとすれば、全部で10人の詩人たちに接することができるでしょう。また受講者のみなさんが関心のある詩人、読んでみたい詩などがあったら、それを取り上げることもしてみたいと思います。「きみはまだ心を知らなかった、きみはこうして心を学ぶ、この経験、この表現から。私が詩と呼ぶのはまさに心を教えてくれるもの、心を発明するもの…のことだ。」 あるフランスの哲学者のことばですが、ああ、そうだな、それが詩を読むことだよなと思えるうまいことばです…そんな経験の場をみなさんと作れたらと願っています。

 開講時 (4/13, 13:30~) に第0回目として無料のプレゼンテーションと相談会を行いますので、すこしでも関心のある方、ぜひためしに覗きにいらして下さい。中途からの受講も可能です。

*日程詳細
4/13, 13:30~15:00 第0回目 プレゼンテーションと相談会(無料)
4/20~6/29, 13:30~15:00 第1回〜第10回(毎週土曜日)(5/4は休み)
*講師の鈴木水守さんはフランス語の詩、とくにフィリップ・ジャコテ Philippe Jaccottet を中心とした現代詩が専門。(講座の内容についての質問はメールで:mmsz-suzukimimori@yahoo.co.jp)
*受講料:0回目または1回目に(入塾費¥2000 年会費¥2000 10回分¥16000)合計2万円(半額割引制度あり)を現金でお支払いください。1回だけ受講は、一般は現金で2千円、塾生は回数券1枚です。

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