人文系寺子屋 野崎塾 イカロスの太陽

市民の市民による市民のための学び舎 前野町カルチャースクール 板橋区前野町6-41-17村越ビル1F 080.3856.7463 野崎

第8回イベントは、9月17日(日)午後4時から、台風の近づくなか会員3名の参加を得て無事行われました。参加者は少なかったけれど、中身の濃い議論ができたと思います。

次回は 10月29日午後4時から、マーク・ロブソン製作・監督『ロスト・コマンド (LOST COMMAND)』(1966、米コロンビア、日本語字幕)の映画鑑賞会です。戦争の残忍さと無意味さを鋭くえぐる衝撃作。アンソニー・クイーンとアラン・ドロンの競演が楽しみ

以下に第8回イベントのレジュメを掲載します。

加藤典洋『戦後入門』を巡って(改訂版)

野崎次郎

 

2017.09.17 野崎塾

 

0) 加藤典洋は本書で広島、長崎への原子爆弾投下の意味と戦後日本の起源(「ポツダム宣言」は「無条件降伏だったのか」)を明らかにし、「憲法九条」と「国連中心主義」を基軸にして今後の対米従属からの独立の展望を語っている (p.019)

 戦後憲法の「押しつけ論」、アメリカ中心の国際連合の現実を指摘することで、加藤の議論を非現実的と批判することも可能ではあるが、加藤の議論はその批判をはるかに超えて、広い射程と明確な理念に裏打ちされている。たんなる「護憲論」でも現在の「国連中心主義」ともまったく異なるものなのである。そして今また「核拡散防止条約」を巡って流布している「国際社会」というもの(イデオロギー)ともまったく異なるものである。

 それは小沢一郎の国連中心主義(p. 449)、柄谷行人『世界史の構造』、カント『永遠平和のために』に連なるものである。

*「カントは物事を〝事前〟から見る。(…)カントは世界史に関し、(…)それが「目的の国」(道徳法則が実現された世界)に向かって漸進しているとみなしてよい、という。そのような理念は「統整的理念」である。すなわち、それは「構成的理念」とは違って、けっして実現されることはないが、われわれがそれに近づこうと努めるような指標としてありつづける。」(柄谷、上掲書pp. xi~xii

**「(グローバル化が進んだ今——引用者)だから世界市民法という理念は空想的なものでも誇張されたものでもなく、人類の公的な法についても、永遠平和についても、国内法と国際法における書かれざる法典を補うものとして必然的なものなのである。そしてこの条件のもとでのみ、人類は永遠平和に近づいていることを誇ることができるのである。」(カント『永遠平和のために』中山元訳、光文社古典新訳文庫、p. 191

***「だから永遠平和が可能となるためには、さまざまな国家が強制によらずに、自主的な連合を形成して、戦争を根絶することが必要である。もしも外部からの強制によって共同体を設立するとなると、これは世界国家というものになるだろう。(中略)世界国家は永遠平和を確立するための「積極的な理念」ではあるが、それは自由と文化の消滅のもとで、歴史の終焉とひとしいものとなる危険性を秘めているのである。そこでカントが提案するのは、世界国家の樹立ではなく、「たえず拡大しつづける持続的な連合」183ページ)という消極的な理念である。」(中山元、解説——カントの思考のアクチュアリティ、上掲書p. 357

 

1) 戦後日本の起源

 ポツダム宣言受諾(1945.8.14)によって日本は無条件降伏したと一般に信じられているが、果たしてそうか? 「対米従属」という語が「唐突さ」なしに語られることがないのはなぜか? (「日本は独立国だよ。なに「対米従属」とかいってるの?」←一般的な反応)

 ポツダム宣言受諾後、連合国軍の占領から米軍単独占領へ。占領政策の転換、アメリカとの単独講和条約と同時に発効された日米安保条約、日米地位協定、日米合同委員会へといたる一連の動きに注目されねばならない。

 原子爆弾投下(1945.8.6, 8.9)直後に原爆投下への批判がアメリカにも存在したが、そのことを封じるために、占領政策が変質したといえる。米ソ対立、東西冷戦の始まりが極東における日本の基地の重要性を高めた。

 核によるアメリカの世界戦略、核(の情報)を保有することで優位に立つ、のちに核技術が他国にも広まると、核拡散防止条約(1970.3.5発効)で拡散を防ごうとしているが、そのことはすでに核(の情報)を保有することによる世界制覇が困難になっていることを物語っている。では、どうするか? これが加藤典洋のモチーフのすべてであり、「国連中心主義」と「九条強化案」(pp. 551-552)のかなめをなす。

 

*ポツダム宣言(1945.7.26の最後通牒)の第12項

 「前記諸目的(非軍事化と民主化など——引用者)が達成せられ、且つ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるに於いては、聯合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるるべし」(p.025に引用)

**サンフランスシスコ講和条約(19519月、日本と連合国48カ国と調印)(中国、ソ連が入っていない)

 第6条(a)項「すべての占領軍は90日以内に日本から撤退する」と書き込まれているものの、続けて「2国間条約等による外国軍隊の日本駐留は可能」という規定が目立たない形で入っていた。(p.026

***日米安保条約(講和条約発効と同じ日524月に発効)

 「日米安保条約は、(中略)前文に、「国連憲章は各国に自衛権を認めている」一方、日本には「独自の防衛力」が十分でないので「日本はアメリカ軍が国内に駐留することを希望する」と日本からの希望が表明され、米国もこれに応じ、(中略)この条約を締結する」(p.026

 「第一条「日本は国内への米軍駐留の権利を与える(米軍は内乱鎮圧にもあたることができる)」第三条「細目決定は両国間の行政協定による」第四条 これなしでやれると「両国政府が認識した場合に」この条約ははじめて失効する(中略)米軍に対して日本防衛の義務が明記されることはなく、また米国が同意しない限りこの米軍駐留は永遠に続く、という」(p.026

 

2) 江藤淳の衣鉢を継ぐ加藤典洋は、江藤の「無条件降伏論争」を詳細におっているが(pp. 258-259参照)、ここではそのモチーフだけを確認しておこう。つまり、1960年の反安保闘争が「反米ナショナリズム」に陥らずにいわば「親米」の「民主主義を目指す闘争」として闘われねばならないというのである。

 加藤は原爆投下に対するアメリカにも存在した批判と「回心」、さらにロシア革命直後に出された「平和に関する布告」(1917.11)とそれに続くウィルソンの「十四ヵ条の平和原則」(1918.1)、第一次世界大戦の教訓を条約化した「パリ不戦条約(ブリアン=ケロッグ協定)」(1928.8)、「第二次世界大戦」の「理念化」(日本は「大東亜戦争」の理念化に失敗している)さらにそれが「平和憲法」の理念となったこと(それに応答する動きは日本にも存在した)などなどをたどり、「九条の理念」はむしろ日本の孤立を語るのではなく、あり得べき国際社会との今後の連帯を語っていると加藤は考えている。

 原爆投下の事実(なぜ投下されるにいたったか)がタブー視され、原爆投下の被害者性だけが前面化し、戦争の加害者性が隠蔽され、侵略の謝罪が不可能となり、核を巡る政策が全面的に検討されずに、絶対平和主義的な言説しか出てこないのは、原爆投下批判が抑圧されているからである。とともに日本的「転向」を不可避にさせた。戦前の体制(天皇制)から何の「批判」もなく、「戦争責任」を自ら問うこともなく、「戦後民主主義」へと移行できた。ポツダム宣言受け入れの情報が入っていたにもかかわらず(ソ連参戦の情報も)、なぜアメリカは原爆を投下したのか、そのような問いが抑圧された。その結果、現在のアメリカの核政策を批判できないetc,.

 

3) 加藤典洋の「九条強化案」は以下の通り。(pp. 551-552

 

九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二、以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第四七条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。国の交戦権は国連に委譲する。

三、前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救援にあたるものとする。

四、今後、われわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。

五、前四項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。

 

 

来る17日(日)は第8回イベントです。午後4時から始まります。終了後(6時頃)、ベルギーのスパークリングワインを飲む会になります。一品持ち寄りをお願いします。

参加費:会員500円、一般1000円。打ち上げのみ参加(無料)も可能です。

加藤典洋は、本書で広島、長崎への原爆投下の意味と戦後日本の起源(「ポツダム宣言」は「無条件降伏だったのか」)を明らかにし、「憲法九条」と「国連中心主義」を基軸にして今後の対米従属からの独立の展望を語っている。この討論会では、加藤の議論の論旨をたどりながら、加藤の描く展望の有効性について参加者の意見を出し合い、議論を深めたいと思っています。(報告者:野崎次郎塾長)



 

9月1日の朝、無事帰国しました。日本では今年の夏は暑く、雨が多かったようです。ベルギーの今年の夏は例年より雨が多く、晴れが少なく、気温も低めで寒いくらいでした。しかし、勉強もはかどり、オランダ語講座、三度目の挑戦のレベル2の修了試験に合格しました(ヨーロッパ参照枠のA2+)。

友人たちとも再会を果たし、今年は「寿司パーティー」もしました。写真は、FaceBook, twitter にアップしているのでそちらをご覧ください。

9月は5日から再開されます。野崎塾はシニアが中心の会です。当会の「主席補佐官」の中山ちゃんが腸閉塞の後遺症で、先週から2週間の予定で入院しています。クラスは平常通り行います。今後も病人やけが人が出るかと思いますが、9月からの入塾される方も何名かいらっしゃいます、お互いに助け合って運営していきましょう! 


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